弁護士・法律事務所あるあるだが、契約書の作成依頼を受けたとき、ゼロから作成することはなく、何らかの契約書をベースに作成することが極めて一般的である。
作ったことがない種類の契約書でも、それに近いものを探し出すし、手元になかったら、インターネットで探してみたりもする。
たまに過去に自分が作成した契約書を明らかにベースとした契約書が、相手方の他の事務所から出てきたりもする(その言い回し、一番最初に作ったの、私なのになぁ・・・と思ったり)。
そんなとき考えるのが、契約書って著作権認められていないの?ってことである。
仮に著作権(複製権・翻案権など)が認められた場合、上記のように、他の人が作った契約書をベースに新しい契約を作るという作業が著作権法上禁止されるし、インターネットに落ちている契約書の雛形などを安心して利用できなくなってしまう。
契約書に著作権は認められるのか?
(契約書に著作権なんて認められたら、社会生活が成り立たなくなるので、認められないという結論は見えているが・・・)
そもそも「著作権」が認められる「著作物」とは、著作権法上、「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」と定義されている(同法第2条第1号)。
うん、、、この定義からして、契約書は明らかに「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属する」とは言いがたいし、基本的には合意内容を落とし込むだけなので、「思想又は感情を創作的に表現した」ものとは言えないと思う(合意内容が揉めに揉めた後の「感情」的なものであっても、「創作的」な表現にはならないようね、きっと)。
ということで争いなく、契約書の著作物性は否定されると思い、この点が、裁判で争われたことなんてないと思ったけど、探したら、一件だけ見つかった。
契約当事者の一方が相手方に送付した契約書案の返還請求事件(東京地判昭和62年5月14日判決、判例時報1273号76ページ)で、裁判所は、契約書の著作権を根拠に契約書の返還を求めたが、「本件文書の記載内容は、思想又は感情を創作的に表現したものであるとはいえないから、著作物ということはできない」と判示し、原告の請求を棄却している。
なお、知的財産法についての東京大学の名誉教授であり、西村あさひ法律事務所(業界最大手)の弁護士である中山信弘先生が書かれた論文にも、「契約書であれば、全て著作物性がないとまではいえないが、多くの契約書は、契約の内容(これ自体に著作権が発生しないことは明白である)を通常の方法で文章可したに過ぎず、創作的な表現とは言えないであろう。先例として、船荷証券は、将来なすべき契約の意思表示に過ぎないのであって、何らの思想も表白されておらず、契約条項の取捨選択にいかに研究努力を重ねたにせよ、その苦心努力は著作権保護の対象とはなり得ないとして著作物性を否定した判決がある(東京地判昭和40年8月31日下民集16巻8号1377頁・・・)。このような契約書の類については、その作成に多大の労力や知識を必要とするものであるが、それは契約の内容に関する苦労であり、表現についての創作でないことが多い。」(ジュリスト 1991年11月1日号(NO.989) 107頁)。
要約すると、契約書はたいていの場合、著作物性が認められないということであり、裁判例上も認めたものは不見当である。
たまーに、何かが私に舞い降りて、素晴らしく美しい出来の契約書を作成するけれども(自画自賛)、勝手に人に使われてしまう運命なのでした。
まぁ、他の人が作成した契約書を流用することの方が圧倒的に多いし(それこそ私が弁護士になる前に、先人が作成していた定型雛形も多いし)、著作物性が認められてしまったら、全く仕事にならんので、結論は賛成である。
契約書に著作権が認められないということは、契約書を適当に集めてきて、勝手に雛形として(適当にマスキングして)、売っても責任は問われないわけか。
まぁ、売ったとしても、買った人に転売されてしまう可能性が大だが・・・(売る際に、転売禁止の合意をしておけば、理論的には防げるが、どこまで実効性あるかね。)
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