第1 自分的FX歴史年表
*記憶を元に作成をしているので、厳密な時間軸とは異なる可能性があることはご容赦いただきたい。
1 2009年 ~不幸の始まり~
司法試験に合格して、司法修習生として安定的給料がやっともらえるようになった。
この頃の私は実家に暮らしていた。
父親は毎日のようにFXのトレード画面を開いていた。
たまに「50万円あげるから、お前もやってみるか?」とFXのお誘いを受けていた。
元来ギャンブルが好きな自分だが、自分に安定的収入がなかったのもあり、断っていた。
だが、ようやく安定的収入源をゲット。
父親を真似して、FXを始めてみる。
使用したブローカーは外為オンライン。
単に父親の真似をしただけである。
月の給料、およそ20万円をぶち込んでは負ける日々。
この年、150万円くらいは負けたのであるが、FXを諦めはしなかった。
2 2010年 ~弁護士の始まり~
弁護士として働き始める。
最初は研修だったので、割と時間があり、研修中もずっと値動きを見ていた。
この頃はまだスマホがないから、ガラケーで、更新を連打で値動きを把握。
2010年前半はレンジ相場が多く、月50-60万円くらいを稼いでいた記憶。
しかし、後半になり超円高傾向になり、どんどん利益を吐き出すロスカット地獄。
結局この年も数百万円マイナスとなる。
3 2011年 ~欧州危機~
この年はまだリーマンショックの余波は食らっており、ギリシャショックの真っ只中。
また、イタリアではベルルスコーニ内閣が汚職で退陣。
アルゼンチンもデフォルト、という世界的に景気が低調した一年間だった。
FX的には売れば良かったので、この年に初めて年間収支がプラスとなる。
しかし、以降2019年まで納税することがないことをこの時の私は知る由もなかった。 ちなみに、この年、競馬でも年間収支プラスとなる。
4 2012年 ~南アフリカショック~
全体的に円高傾向が続いてた。この頃はまだ高金利通貨はそれなりのスワップを生み出していたので、豪ドルや南アフリカランドを中心に投資。
そして、12月に悲劇が訪れた。ボーナスのほぼ全額で南アフリカランドを購入。それこそ300万ランドくらいだった気がする。そして購入したその日に南アフリカランドショックが発生し、2-3円下落。1年分のボーナスをもらったその日に全額失うという悲劇に遭遇。流石に一晩中泣いて、眠れなかった。
年間収支はマイナス500万円超となる。
5 2013年 ~アベノミクスの始まり~
この年、アベノミクスにより超円安が到来する。
1ドル75円、1ユーロ90円という超円高トレンドからの転換。
この時にFXを始めた同僚はただロングして、ぼろ儲けしていた。
私はどこかで反転するだろ・・・と思い続け、いつも逆張りショート。
そして、トレンドが反転することはなく、損を出し続けた。
多分この年の年間収支はマイナス500万円超。
6 2014年 ~安定のマイナス収支~
そしてついにドル円は1ドル120円時代へ。一時的に豪ドル円>米ドル円になることもあった。
この頃もひたすら逆張りをしており、年間収支マイナス700万円ほどに・・・
母が税務署でアルバイトを開始し、自分の確定申告をチェックしないかと怯えながら、確定申告書類を提出したことを覚えている。
7 2015年 ~スイスフランショック~
1月にスイスフランショックが起きる。記憶では100円から180円くらいの幅で1か月間スイスフランが値動きする。
スイスフランショックは直撃しなかったが、ボラが楽しくて、手を出してしまう。一日10円前後は平気で動いていたから。スプは超広かったけど。
そして、これにより、年間収支はまたもやマイナス数百万円に。
8 2016年 ~ポンドショック~
6月にEU離脱の国民投票がある。確かこの投票が始まる直前はポンドが190円前後だったはずだが、離脱賛成派が過半数占めることが判明した時点では160円くらいになっていたような。
また、アメリカ大統領選も行われ、予想外にトランプが勝利。大統領選の直前に1ドル104円くらいだったものが、結果がでた直後1時1ドル100円割れ。しかしこの後、すぐにトレンドが転換し、再び1ドル120円に向かう。
トレンドに乗れない私はいつも通り年間収支マイナス数百万円へ。
9 2017年 ~トルコリラショック~
この頃、高金利通貨を謳ったトルコリラが流行り始める。
どの日本のブローカーもトルコリラを勧める始末。アベノミクスも相俟って1リラ20円くらいから、1リラ50円まで上昇中だった。
そんな中、だんだんとトルコリラが下がり始め年末には30円くらいまでに下がる。ここを買い時と判断し、大量購入。安定のロスカットにより、年間収支マイナス数百万円に。
10 2018年 ~トルコリラショック続~
この年、これまでの人生を振り返り、FXでどんだけ自分の人生を損しているかに思い至り、元気がでない日々を過ごす。前妻との離婚も相俟ってお金が全くなかった。この時、Facebookにでていた海外FXを利用した儲け話に手を出してしまう(後述)。
トルコリラショックが続く。1リラ20円を切った瞬間、15円くらまで瞬間的急落。私はリラショートで入ったはずが、まさかの押し間違いで、ロングで入ってしまい、数十分でマイナス数百万円。資金ショートを起こしそうになり、父親に泣きつき、お金を借りる・・・
12月のボーナスで財政を立て直したものの、年間収支は大赤字(父親へはボーナスを用いて返済)。
11 2019年 ~フラッシュクラッシュからの・・・~
年始をグアムで過ごす。ボーナスを元手に豪ドルのロングに大きく貼るが、まさかのフラッシュクラッシュにより1月3日の早朝に全損。グアムのホテルのプールで死にかける(色んな意味で)。しかし、
これをきっかけに自分の人生が転換することになる(後述)。
最終的にこの年は大勝し、久しぶりに納税することに。
12 2020年 ~貴金属の夜明け~
この年、ゴールドの取引が流行。自分も貴金属をメインに取引し、キャッシュバックを大量に得る(当時は貴金属のキャッシュバック額が尋常じゃなかった)が、ゴールドが1700ドルから2100ドル、シルバーが15ドルから31ドルまで上るという急騰にやられ、一発マイナス700万円を記録。年間収支はトントンに。
第2 海外FXに本格着手
私が海外FXを始めた2018年後半、おそらくXMが全盛期で、海外FXトレーダーのほとんどがXMを使っていたように思う。
当時流行っていたのは、XMのアフィURLを踏むことを条件にエントリーポイントを配信するグループに参加できるというオンラインサロン的なもの。
当時お金に困っていた私は、藁にもすがるような気持ちで、参加したのだった。この頃の私は海外FXのアフィリエイト制度がどんなものか知らなかったし、Facebookに上記オンラインサロンの広告が表示されるということがどういうことか理解してなかった(恥ずかしながらそれを考える気持ちの余裕もなかった)。今の知識を持って過去に戻ったならば間違いなくこのサロンには参加しなかっただろう。
話が脱線したが、この出来事をきっかけに私は海外FXがそこまで危険なものじゃないことを知り、また、国内FXには存在しないボーナス制度やライフタイムコミッションというアフィリエイト制度を知るに至った。上記オンラインサロン及びフラッシュクラッシュで爆損を被った私に残された道は、ブログで稼ぐというものだけだった。
私のように海外FXのことを知らない人がまだまだ世の中にはたくさんいると考え、まず海外FXの適法性を記事にして書いた。その次に海外FXでもっとも有用と思われるボーナスを提供しているブローカーをネットで情報が集められるだけ集めた。この時点では海外FXのアフィリエイトは流行ってなかったし、ボーナスを特集したページはほとんどなかった(あっても、検索上位に来ていたのは、5社くらいを取り扱ったページがメインだったように思う)。そこで、まず自分でボーナスを使ってみて、稼ぐことができたならば、それを記事にしようと考えた。そこで巡り合ったのがGemForexとis6com(当時商号)だった。
別記事のとおり、GemForexとis6com(当時商号)を重用して私はトレードで連戦連勝になったわけであるが、この手法を自分のものだけにしておくのは惜しい、と思い、ボーナスを利用したロジック不要の取引手法を記事にし、また、ボーナスを提供しているブローカーを一覧にした記事を作成した(もちろんアフィリエイトURLを組み込んで)。当時は クッションという用語(別記事に書いたように、この用語を使いだしたのは私である。)やボーナス提供のブローカーを網羅的にまとめた一覧は存在しなかった(先のとおり、ブローカー毎の紹介ページなどはあったが、ボーナスに特化したページは不検討だった。)。
これが大当たりした。ブログに本格着手したのが2019年1月3日であるが、2019年3月にはアフィ報酬が50万円、4月には150万円、最終的には最高月400~500万円に到達していたと思う。
そう、ブログで人生大逆転を果たしたのである。 (続く)
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